落合陽一さん「平成は・・・」
平成はどんな時代だったか
2019年1月1日の朝まで生テレビ。
個人的な感想は,議員さん連中が話をしっちゃかめっちゃかにしていてダメだこりゃ,って思うような内容でした。議題に対して自身や政党の考えをこじつけてくるがために話がずれてしまいます。
落合さんが平成をどんな時代だと思っていたかと聞かれて答えたのは
「空気の停滞」
落合さん「何かを変えようとしたときに『変わらないんじゃないか』という雰囲気,昭和を引きずった30年だった」
「例えばハードの業界の方と仕事をするときに,うちはこれでずっとやってきた,とか,テクノロジーを入れるといってもお金もコストもかかるでしょう言われることとか,変えていかなきゃいけないのに,変えない方が安全である,変えた方が悪くなるという考え方で停滞させるのが嫌」
という趣旨の話をされていました。
正直,落合さんほどの方でも空気の停滞を打破していくことは難しく感じているのだなぁと思いました。
で,落合陽一さん,三浦瑠麗さん,古市憲寿さんが問題に対して具体的な話を提案すると,できない理由とか,この時に誰がこんなことを言ったとか,そんな話を持ち出してくる年配の方で議論が止まり,問題から話がずれていく。
日本の縮図だと思いました。
これだけ有能な若手の方々でも,真っ当なことを主張して納得してもらうのが難しい。
なんだろう。どうにかしたい。
いろんな分野で,アイデアをだして実行しようとする若手を止める意思決定層がたくさんいる。
若手のアイデアは,物事の効率化を図ったり,未来を見据えたプラットフォームを作るものが多いのに,前時代な価値観とか,変えられない理由を押し並べて,なんだかよくわからない精神論みたいなのでつぶされていく。
僕たちにできることは,今の年配層の方にめんどくさくても,いらいらしても,丁寧に説明してあげて,納得してもらうしかないのかな,とそう思いました。
自分のできる範囲で,自分のやらなければならない範囲で,今の日本の前時代的な習慣とか価値観から,時代に適合した,もっと未来を見据えた形に変えていかなくてはと思いました。個々の変化の繰り返しが,変化に耐えうる日本のマインドを作っていく気がします。
有能な若手の方々でさえ,年配層の扱いに苦労している様子が見られました。
それでもあきらめずに,日本を良くしようと考えを発信してくれています。
僕は僕のできる範囲から,変えるべきものを変えていくことからあきらめないようにします。