公立小教員、残業代訴訟が私たちと無関係ではない理由
「無賃労働、若い人に引き継いではいけない」
埼玉教員残業代訴訟 「義務ない」、県は争う姿勢 - 産経ニュース
現職の教員が訴訟を起こしました。
県の教育委員会に残業代242万円の未払い賃金の支払いを求めています。
この教員のすごいところは年齢が59歳であるということ。
普通に退職すれば,よい額の退職金,年金がもらえます。
普通に暮らしていくには,おそらくお金に困ることはないはずです。
残業代242万円,額の問題ではないのです。
昭和,平成と時代が変わる中で,悪くなってきてしまった労働環境,通用しなくなった制度が出てきてしまった。そのツケを次世代に残すわけには行けない。
そんな正義感に溢れる,勇気ある訴訟だと思います。
「高度プロフェッショナル制度」は50年前から行われてきた。
働き方改革関連法案に盛り込まれた高度プロフェッショナル制度,通称高プロ。
専門性と給与の高い職種に限り,残業等の時間外労働の対価を支払われない代わりに,時間にとらわれない自由な働き方をすることができる制度です。法律の審議では,かねてより長時間労働を引き起こし過労死を招くと懸念されてきました。
この「残業代が支払われない制度」は「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」という法律で,教員の世界では昭和47年から続いてきました。
約50年後の今,何が起きているかは周知のとおりです。
過労死ライン,月80時間を,中学校教員の6割を超えるというアンケート結果。
認定されているものだけで,この10年間で63人の教員の過労死(認定されていないものも含めると・・・)
高プロの恐ろしさ,わかっていただけるだろうか?
これが2019年からされるわけです。
追い詰められている大人が子どもを追い詰める
教員は子どものためなら,どうにか力になってあげたいと思う人の集団です。
「子どものためになる」と思われることなど,無限にあります。
それを取捨選択できずに,この50年の間に残業時間を増やし続けてきた。
朝7時に学校に来て,夜9時に帰って,また朝7時に学校に来る。
毎日14時間以上の労働をする,極限状態。
さらなる悲劇は,子どもにもそれをもとめてしまうところにある。
教師の感覚は麻痺している。それは教師が悪いのではなく労働環境が悪い。
ずれた教師の感覚は,子どもを追い詰める。
朝7時からの部活動の朝練習。
昼休みの委員会活動。
夕方16時から19時の部活動。
帰宅してからの宿題の命令。
あれ?当たり前だと思いました?
それはすでに日本社会に洗脳されています。
早朝勤務の強制。
休憩時間の業務対応。
固定された残業。
持ち帰り仕事。
ぜんぶブラック企業がやっていることではないですか?
それでいて,それについていけない子どもが出てきたらなんて言うのでしょう?
ほかの人はみんなやっている,できないのは君の努力が足りないからだ。
終わらなかった分は土日休日を使って少しでもやりなさい。
そんなことではどこに行っても通用しない。
そんなことを,親や教員は子どもに言っていないでしょうか?
そんなことを言われたことはないでしょうか?
全部ブラック企業で使われる社員を追い詰める言葉です。
恐ろしいことに,そんな言葉や社会や制度を,多くの日本人は「当たり前」だと思っています。その空気が何をもたらしているか。
不登校によって学校にいけない児童生徒は2017年,14万人です。
日本の10代の死亡原因の1位は自殺です。
もはや平成ではない。ブラックな日本に終止符を。
ブラックな学校がブラック社員を輩出しブラック企業を成立させてきた。
このサイクルを理解していただけたでしょうか?
このブラックサイクルは,高度経済成長期にはプラスに作用してきました。
残業すればするほどモノは売れました。給与が上がりました。
多様な個性を持つ人材よりも,画一的の安定した質の人材を多く採用した方が,安定して多くのモノを作り出すことができました。
会社は家族,終身雇用が成立していました。だからこそ社員は少々の犠牲を払って会社に貢献してきました。
でも,それは昔の話。今はそんな時代ではないのです。
超高齢社会に希望を与えることのできる創造的な人材が必要です。
人生100年時代,幸福を感じられる生き方を模索する時代です。
そんな時代に,平成どころか昭和にできた悪しき習慣や制度を次世代に残してはいけません。
公立学校の残業代を求めた訴訟というのは,新しい時代に向かう大きな一歩なのです。決して教員だけの問題ではありません。