ペンギン旅にっき

普通の日本人が,ヨーロッパをさらに楽しく旅する方法を考えていくライフログ。ちなみにペンギンは野生では南半球にしか住まない。

’’橋本徹の即リプ’’「甲子園はもうやめなければいけない」→本当にそう思う

甲子園が変われば社会が変わる

 abemaTVの番組「橋本徹の即リプ」の中で,橋本さんは「甲子園はもうやめなければいけない。甲子園大会が学校スポーツのいろんな問題の根本原因」という趣旨の話をしていた。
もう,100%同意
 すっかり夏の風物詩となった全国高校野球大会,甲子園。
 はつらつとプレーする選手と,彼らを支える多くの人たち,それぞれが織りなす数々のドラマに,人々は魅了された。
 学校部活動の象徴とも思われる,甲子園大会。
 学校部活動といえば,日本人の多くが経験し,青春時代の1ページとなっている人も多い。
 一方で部活動は,主に教師の労働問題として昨今注目されている。今回はもう少し範囲を広げて,部活動問題は日本に未来にかかわるという視点で見ていきたい。
 私の主張は,「部活をなくせ,甲子園大会をなくせ」ではなく,
「みんなが生きやすく,持続可能な社会にしていきましょうよ」
である。


全文書いた後にここに書くのだけれど,とんでもなく長くなってしまいました。最後のまとめだけでも読んでもらえたらうれしいです。部活動にかかわる中で苦しんでいる子ども,教師の力になりたい。ブラック企業に代表される,社会の不条理,非合理性に苦しむ人の支えになりたい。そういう思いが強くて書きました。

甲子園の問題点

まとめると,ケガとか熱中症とかの負の要素もあるけど,それさえも感動になるし,金になるからやめられないよね。という話。

選手生命を短くするケガ 
 アメリメジャーリーグでは日本人選手,特に甲子園で活躍した投手を獲得することが一つのリスクになっている。
 短い試合間隔。連日の連投による,肘,肩の故障が懸念されるからだ。
 近年では,松坂,田中,大谷,など,ケガに泣かされている選手は枚挙に暇がない。
感動商法による利権
 灼熱のグラウンドで必死に頑張る選手。
 努力でケガを乗り越える過程。
 ケガによって選手生命を絶たれた生徒が,マネージャーとして選手を支える話。
 どれも,よく考えるとそれってどうなの?って思われるトピックが,人々を感動させるコンテンツとして扱われている。
 その感動コンテンツをメディアは売る。
 私立学校はメディア露出のために選手を全国からかき集める。資金が集まる。
 みんな,おいしいからやめられない。

学校部活動と軍国主義

 部活動を遡っていくと,第一次世界大戦との兼ね合いが見られる。*1学校部活動には,鍛錬の効果があるとして,大正時代に奨励される。昭和になり戦争が激しくなっていくと,スポーツの要素は薄まり,武道を中心に国防的な競技に重点におかれた。
 部活動には軍国主義的なルーツがあると考えられる。

部活動によって生産される,マインドセットされた日本人

 感動体験は,ときに危険である。
 自分はこうだった。君もそうするべきだ。という論調になりがちである。忍耐,努力,協力が当然のこととして美徳化されている。

部活動の感動体験は,美化される。
 苦しい練習を乗り越えた成功体験。
 仲間とひとつのことを共有することの喜び。
 最後まであきらめない心。

感動体験に必要だった要素
 個を犠牲にしても,集団のために協力すること。
 集団を統治するためには,指導者の指示に従うことが大切であること。
 年長者を敬うこと。

極めて軍国主義的思想が,日本人に広くマインドセットされた

均一な人材がもたらしたもの

均一な人材は近代に必要だった
 上からの指示に従う,勤勉な労働者。
 人口が増加した高度経済成長期には,均一な労働者が必要だった。
 物は作れば作るほど売れた。
 効率よく作るためには,労働者が絶え間なく同じ製品を作ることが必要だった。
 
過労死する労働者
 一度始めたことは最後までやり通さなければいけない。
 自分が抜けたら他に迷惑がかかる。
 できないのは,自分に努力が足りないからだ。

技術革新によって求められるスキルが高度化された社会に,人々は逃げ場を失い,唯一の逃げ場である死を選んでしまう。均一化による大量生産は,人口増加する時代には資本者と労働者双方に一定のメリットがあったが,人口減少するこれからの時代には見合わなくなり,特に近年では一部の資本者のみに富が集中するようになった。しかし,上記のマインドセットによって労働者は搾取され続けられる構造が続いている。 


SNSによる革命

個人の意見が容易に発信できるようになった。
 いままで,指導者に意に反することや社会のタブーに触れることができなかった。一個人の意見が多くの人の目にさらされ,称賛されたり,批判されたりするようになった。

 過労死させるブラック企業はおかしい。
 熱中症になる可能性のある学校,部活動は見直すべきだ。

企業,学校など,社会的に優位な立場ににあったものに対して,変革を求める声を上げられるようになった

人材育成こそが日本の生き残る道

人口減少期を迎える日本,子どもや生産年齢の人々は,宝だ。
 日本の国家予算の多くが,高齢者に割かれている。
 3人に1人が高齢者となる日本。
 社会保障費,というか国家の財源を生み出せる人口は多く見積もっても国家の3分の2しかいない。
 もっと3分の2に目を向けるべきだ。
 高齢者切り捨ての発想ではない。
 3分の2の子どもや生産年齢の人々をおろそかにすれば,どちらも共倒れだ。
 人口減少によってモノが売れない時代,モノだけでない価値を生み出さなければいけない。均一な人材だけでは,価値は生み出せない。また,少ない生産年齢の人々が過労死していく社会的損失は計り知れない。

まとめ,未来像

 部活動は数年以内に廃止が望ましい。
 子どもは生み出されたその時間に多様な経験をする。
 スポーツをしたい子はすればいいだろう。
 音楽や芸術に力を注ぐのもいいだろう。
 家族で海,山,川,自然に触れることもいいだろう。
 TVやインターネットでエンターテインメントとはなにか考えるのもいい。
 本を読んで知識を得るのもいい。

 経済的に余裕のない家庭の話がよく出てくるけれど,教えたい人は,実は社会の中にたくさんいる。全部を学校で賄うのは間違いだ。
 高齢者といわれる会社を定年退職した人の中にだって,すごく元気で,誰かとかかわりたい人はたくさんいる。
 
 スポーツ,芸術,音楽の知識のある人が,その知識を伝える。
 家庭はその人たちにしっかりお金を払う。
 知識や経験が収入になるようにする。

 そうやって経済を回していかないと。
 教員が無償でやって,一部の団体が利権を,金をすべて握っているうちは経済が回らない。部活動は,そういう負の要素を助長している。

 多様な経験をした子どもが,新しい価値を生み出す人材になる。
 そんな人材を増やしていくことが,これからの日本を救っていく。

*1:学校運動部活動を教育に位置付けた文部省の意図 :明治初期からの戦前と戦後の史的背景から,永谷 稔 著