ペンギン旅にっき

普通の日本人が,ヨーロッパをさらに楽しく旅する方法を考えていくライフログ。ちなみにペンギンは野生では南半球にしか住まない。

学校部活動による経済的損失について

はじめに

 この記事では,主に教師の労働問題として取り上げられる部活動問題を,日本の経済活動の観点から議論することで,部活動の危険性を指摘する。
 しかしながら,エビデンスが足りない。その事実は承知の上で,議論のたたき台となればよいと思っている。

考える視点

  • 人々から余暇を奪うということ
  • 均一化が力になった時代とそうでない時代

人々から余暇を奪うということ

 文部科学省の統計によれば,中学校の教師はおよそ25万人。生徒数は350万人である。
 全員が休日に部活を行っているわけではないにしても,毎週末,この規模の経済がストップしている。教師には申請すれば,3000円が支給される。労働の対価としてみれば十分な額ではない。 しかし,小額ではあるが税金を投入して経済活動をストップさせているなんて,私には滑稽に映る。
 

知識や技能を得るためにはコストが必要であるという論理の崩壊

 既得権という言葉がある。今まで「タダ」で教わってきたスポーツの技能が,有償になるといえば,きっと保護者は納得がいかないだろう。これこそデフレーションの発想であると考えられる。
 いつまでも無償で場所と労働力を搾取しているから地域のスポーツクラブが育たない。生涯スポーツの促進と言いながら,子どもたちはその競技の技能を習得したところで,多くの場合はそこから収入を得ることができないのである。経済はらせんである。せっかく活動しているのに,お金が回らない。お金が回らない仕組みを,日本人は幼いころから体験していることになる。
 さらに,残念ながら部活に加入したところで,全員の技能が向上するわけではない。教える教師の指導力が違う。(これは教師の責任ではない)また,すべての生徒が活動できるわけではない。私の地域での経験でしかないが,例えば部員20人のバスケ部が試合をすることを考える。試合にでるのは20人のうちの5人である。他の15人は何の技能も向上しない。プレーを見て学べと教師は言う。見ることと技能が向上することは本質的に違うと考える。(イメージできることと再現できることは違うのではないかという議論)。試合となれば,その拘束時間は丸一日,8時間以上となることもある。レギュラーではない生徒が,8時間のうち一体どれほどの時間その競技の活動をしてい るのか。つまり,そもそも技能習得効率が低いうえに,拘束時間における活動時間の割合も高くないと考えられる。

消費の縮小

 学校部活動は家族の時間を奪う。教師と生徒だけでなく,教師の家族,生徒の家族のだんらんの時間を奪っている。家族でそろって外で食事をすることはない。山に行くことも,海に行くこともない。娯楽施設にも行かない。これでは地域にお金が落ちない。経済が回っていかない。

急に起こる民族大移動

 たまに家族の休みがそろう。これはまたとない絶好のチャンスである。日本ではたいていは大型連休というやつである。盆暮れ正月。ゴールデンウィーク。(部活動によってはこれらも休みではない)国民の休日が一極集中する。社会のインフラはこれに耐えられない。新幹線,飛行機,高速道路。人の輸送手段はマヒ寸前になる。USJ,ディズニーランド,商業施設はどこも大混雑である。行列に並ぶ時間はすべて経済的な損失である。混雑さえなければ売れていたものが,売れなくなる。休みが集中するから労働力が足りなくなる。これらは,「休日が特別なものになってしまった」日本国民の病である。

均一化が力になった時代とそうでない時代

 学校教育で起こりがちなのは,価値観の均一化である。「~~の場面ではこうするべき」という価値観である。部活動では,その要素が強いと感じる。「辛いことを仲間と乗り越えること」「逃げないで我慢してやり遂げること」が「成功体験」として美談としもてはやされる。
 この価値観の強制というか,このモデルが,すでに受け入れられなくなっていると考えられる。不登校に代表される非社会的な生徒の増加,若年層の自殺の増加は,社会が変化しているのに学校現場が変われない
ジレンマの間に生まれる悲劇である。

かつての栄光にしがみつく

 同じ方向をむいてみんなが頑張る,という価値観が,大きな力になった時代がある。高度経済成長を生き抜いた世代は,その価値観にとらわれていると思う。働いたら働いただけ,カネになる時代があった。単純な労働力が必要だった。今はつらいけど,絶対豊かになるからみんなで頑張ろう。あの人も頑張っているから,私も頑張らなきゃ。そしてみんなが頑張って,日本が豊かになった。
 きっとそうだったんだと思う。しかし現代を生きる私たちは,このビジョンを変えなければならない。

部活動はブラック企業を助長している

 これはよく言われる話である。仕事ができないのは自分の努力が足りないからだ。給与が低いのは自分の能力が足りないからだ。ここで逃げたらいけないんだ。 「苦しくてもやり遂げることが美徳」として学生時代を生き抜いた価値観が,支配者による搾取を生み出している。この搾取の中で,労働者はスキルを得ることも,富を得ることもない。ブラック企業は労働力の搾取し,低価格でも大量消費を促すことで,利益を上げてきた。

人口が減少する世の中では均一化は力にならない

 ブラック企業の低価格,大量消費によるビジネスモデルは,人口が減る世の中では成り立たない。均一な人材の生産では,これからの社会では力になれないと考えられる。

AI時代への突入

 世の中の職業の多くがAI,人工知能にとってかわられるという。これまでも洗濯は洗濯機,掃除は掃除ロボットなど,すでに部分的に進んでいる。これからは,「膨大な情報をもとに判断する」ような仕事はAIにとってかわられる。人間は,AIでは難しいとされる,創造性,クリエイティブな分野で勝負していかなければならない。
 となれば,必要な力は部活動の中で,理不尽に耐え「はい」と答える能力ではない。新しい価値を生み出す力は,均一な経験からでは生まれない。
 限りある時間を活用し,海や山の自然を感じたり,美術館や博物館で感性を養ったり,多様な経験がミックスされ,それが人となりになり,唯一無二の個性となっていくのである。どの経験が何につながるかは未知数だ。点と点がいつしか直線となって,未来につながる。学生時代の貴重な時間は,強制の中で同じ日々の繰り返しに耐える時間ではなく,経験の無数の点を広げていく時間であるべきだと考える。

終わりに

 長くなったが,主張は以下のとおりである。
  ・部活動は今現在,および将来の消費を低下させている。
  ・部活動は均一な人材を生産し,クリエイティブな人材の育成を困難にしている。
 
 教育の問題は,なかなか改善が進まないように感じる。それは,世論が動かないからではないかと思う。
今を生きる生徒,例えば中学生およびその保護者にとってみれば,たった3年間の中では改革は起きないと感じらえれるし,改革されたときには,すでに教育を受ける当事者ではない可能性が高い。だれもが当事者意識を持たないから,改革が先送りになる。
 教育の衰退は,国力の低下である。未来ある子どもに投資できない社会は,必ず衰退する。やがて,日本は,かつてないほどの人口減少を体験する。先細りする労働力で,どのように価値を生み出していくか。国民の問題として,教育を考えていく国でありたい。